2014年11月30日日曜日

私の闘病記録2:退院して4ヶ月が経過しました!

これは http://kmyken1.blogspot.jp/2014/09/2.html の続編です。前記事同様、ご贔屓に。

さて、さらにあれから2ヶ月半とちょっとが経過しました。前記事は手術後2ヶ月の時点での雑感をまとめたものでしたが、7月30日に退院したので今日でちょうど退院4ヶ月ということになります。(本当は手術後4ヶ月の時点をものを11月9日に公開する予定でしたが、この日はどうも疲れがひどく、何となく公開する機会を逃してしまいましたので、今回大幅に加筆して掲載することにしました。)

この「2ヶ月半とちょっと」は仕事に本格復帰しましたので、いろいろなことがありました。とはいっても全体的な症状としては快方に向かっているような気がします。当社従来比70%ぐらいにまで落ちていたタイピングの速さも復活しました。仕事にも直接影響があるので、この復活が一番嬉しいです。

振り返ってみると「おそるおそる」の授業復帰でした。何かが起こってはなるまい、と、最初の1週間はこっそりと教室の隅で(あるときは最前列で)妻に待機してもらっていました。京都での非常勤は1週間遅れての開始だったので来てもらわずに済みましたが。また、基礎ゼミと非常勤先の授業を除く各科目1回目で配布しているシラバス補足事項のプリントの最後に「神谷の病状について」として以下の内容を載せています。
2014年7月に脳腫瘍の手術を受けています。薬でコントロールしていますが、手術後でも脳の腫れを原因とする「てんかん」の発作が起こるかも知れません。仮に発作が起きた時は「意識の有無」をチェックして下さい。意識がなくなることはまずないと思いますが、万が一意識がない場合は学部事務室か教務課に連絡して下さい。
今から思えばどれだけ心配してたんかなあ…という気にもなりますが、まあそれなりに心配だったのでしょう。ちなみに授業中に明らかな発作が起きたのはその後2回だけでしたが、意識を失うようなものではなく、後述するように原因がはっきりしたものでした。

9月16日の授業記録ブログ(資格英語I)ではこんなことを書いています。
2限で一瞬言葉が出てこない場面があった。1限で調子がよかったので、ついつい勢いに乗って無理していろんなことを喋ろうと思ったらしい。アドリブが利かないのは少々つらいけど、少しずつ取り戻していくしかないですね。
今はほとんどこんなことを感じることがなくなりました。回復していますね〜。ありがたいことです。

9月22日に面談を受けた職場の産業医の先生からのアドバイスで、8月25日に作ってもらった紹介状(診療情報提供書)のコピーを保健室に預けておくことにしました。そしてこれは特にアドバイスされたことではなかったのですが、もう一部を「お守り代わり」に持ち歩くようになりました。普段の通勤カバンに入っています。これまでに発行してもらった診断書のコピーと、服用している薬の添付文書も一緒にして持っています。「病は気から」ということになるのでしょうけど、何かあった時もこれで安心ということで、かなり気が楽になりました。

でも時々、普段の通勤カバンとは別の格好で通勤することがあるのですが、その時はなんとなく今でも不安になりますね。職業柄、研究室もありますし、時間割によっては手ぶらで通勤できる日があるのですが(例えば授業の準備さえ終わっていれば月曜日は手ぶらで帰って火曜日は手ぶらで出勤できる)こういう不規則なことをするとちょっと不安になるような気がして、なるべくいつものカバンを持ち歩くようにしています。

お薬手帳によると9月26日に風邪症状でかかりつけの内科にかかっていたようです。咳止めの薬(気管支拡張剤、ホクナリンテープ)をわざわざ銘柄指定(!)で出してもらっていたようです。同じくお薬手帳を見て思い出した話ですが、10月7日、かかりつけの内科が休院日だったのですが、咳がひどかったので別の内科に行って薬を出してもらったようです。そして「少々強めの咳止め薬」である「フスコデ配合錠」を処方してもらったようです。そして前回の阪大病院の外来診療を受けた10月27日には「もっと強い咳止め薬」の「コデインリン酸塩散」を出してもらっています。これでようやく咳の症状は治まった感じです。

あ、少々脱線してしまいましたね。やっぱり時系列順に語っていくことにします。

9月29日の受信英語の授業は少々しんどかったのを覚えています。この授業ではこの日が3週目ですが、まともに喋る日としては初めてでしたので。でもそれ以外の授業ではあまりそういう気はしなくなっていたので、単に緊張してだけだったたのでしょう。今日から初めて使う教科書でしたし。

でも、その他にも記録には残していませんが、9月にも、10月にも、そして11月になってからも「これはヤバイかも…」と思った時が何度かありました。特に「疲れ」は発作の引き金として大きかったのでしょう。やっぱり疲れを溜めないことは何よりも重要なのでしょうね。

ところで、この頃はまだ「同時に何か2つ以上の作業をすること」が苦手だったように記憶しています。例えば非常勤先の情報処理実習の授業に限って言えば「Excel画面を操作しながら説明する」なんていうことで戸惑うことがあったほどです。もう今はとっくに治っていますけどね。

10月は科研費の応募書類と戦っていました。もともと今年は応募は止めておこうと思っていたのですが、どこか後ろ髪を惹かれるところがあったのでしょうか、それとも元来のワーカホリックの血が騒いだのでしょうか、1年後の応募に向けてアイデアを練っているうちになんとなく形になりそうだったので、10月14日の学内締切に間に合わせるべく闘ってしまいました。良くない傾向ですね(笑)学内締切にはぎりぎりで間に合いましたが、それから「朱入れ」が帰ってくるまでの1週間はとても平安な気持ちで過ごせました。まああちこち修正されたので、返却されてから10月31日の最終提出版を完成させるまでの間、再び闘うはめになったのですが。

そういえばかつての悩みの種だった「夜10時になると眠くなる」という症状もいつの間にか消えてしまいましたね。薬の副作用にも慣れてきたということなのでしょうか。

そして10月27日の阪大病院での外来検診の日がやってきました。前回が9月8日でしたから相当空いています。診察待ちの時間に手元のiPhoneでこんなメモを残していました。少し引用してみましょう。
症状的にはかなり収まった気がするが、まだ時々気になる症状がある。「ピキッ」と来て「危ない危ない」と原因から遠ざかることで比較的容易に解消する。 
仮に1で発症するとするなら
+0.7 食事中
+0.6 尿意
+0.4 iPad使用中
+0.4 暗い場所
+0.4 講義中
+0.3 混乱するような出来事が発生している時
+0.2 考え事をしている時
+0.2 便意
+0.2 予期せぬタイミングで他人に話しかけられた時
+0.1 テレビの音
…というように自己分析できるようになったのはここ1ヶ月ぐらい。
授業も普通にできるようになったが、まだ疲れやすい。 
頻尿気味。尿意だけ、ということも多い。どちらの薬の添付文書にも書かれていないが、イーケプラを飲み始めてから出た症状のような気がする。
どうやらあの頃は「食事中の尿意」でさえも発作の引き金になっていたんですね。

このブログを書いている時点ではここから1ヶ月が経過していることになりますが、「仮に1で発症するとするなら」の値もかなり緩和方向に向かっているような気がします。特に「食事中」はほとんど気にならなくなりました。でもやっぱり「尿意」は明らかに発症する原因と言えますね。それ以外の項目についても今はほとんど無視できる範囲です。

お医者さんの話によると、やはり「イーケプラ」の副作用に「過活動膀胱」があり、頻尿の症状はそれによるものではないか?とのことでした。その後も気をつけてトイレに行くようにしていますが、講義時間の90分を持たせることが出来ないことがたまにあります。特に寒い時に顕著です。今年は特に11月になってから冷え込む日が多かったので、暖房開始になるまでの間は大変でした。

ということで上の「仮に1で発症するとするなら」を本日現在の印象で記すとすれば、
+0.6 尿意
+0.4 急な冷え込み
+0.4 講義中
+0.2 緊張
ぐらいでしょうか。回復しましたね〜。ありがたいことです。

でも11月3日の授業時には軽い痙攣発作が起こってしまいました。ごくごく弱いものでしたけど脳の左前頭葉に障害があるので症状は右側に出てしまいます。右手が一瞬だけ使えなくなる運動機能障害なので、利き手である右手で黒板に書く字が乱れてしまいました。

この日は朝から冷え込みがきつかったのを思い出します。たまたまそんな時に尿意に襲われ、不運にも「合計で1」を越えてしまったのでしょう。そういえばその日の朝、授業前に久しぶりにお見かけする先生から「もう大丈夫なんですか?」と聞かれ「大丈夫ですよ〜」と軽〜く返事してしまったのを思い出します。全然大丈夫じゃなかった。

11月6日からの約3週間はブリッジ・イングリッシュb/Iの「個別音読テスト」がスケジュールの中心でした。途中で台湾への出張がありましたが、もう少しバランスよく受けに来て欲しかった。青・黄・赤の三色のカードを使い、それぞれ4日ずつ割り当てるという方法を採用しましたが、どの色のカードでも最終日に固まりやすい傾向が明らかだったので、体調管理の意味からも、第2回は5色のカードぐらいに分けて「最終日を増やす」作戦で行こうと思います。今回よくあったのですが、普段は在宅の金曜日に出校したり、水曜日に非常勤先から急いで戻ってきて待機していても2人ぐらいしか受けにこなかった、とかでは困りますから。「いつ受けにくるか分からない」という状態は案外と仕事にならないものです。

11月15日までは時々「コデインリン酸塩散」を服用していましたが、11月17日頃にはようやく咳の症状も収まってきたようです。

11月19日は早朝からの非常勤先への出校でしたが、朝の時点でこんなことをつぶやいています。
しばらく前までは全く無理だった「電車の中で音楽を聴きながら読書や仕事をすること」がいつの間にかできるようになっていた。体調、徐々に回復してるなあ(^^)
でも11月20日の基礎ゼミの時に軽い痙攣発作が起こり、翌日からの台湾出張がちょっと心配になりました。翌11月21日に台湾に着いた時点でも軽い痙攣発作が起こった上、11月22日のAsiaCALL 2014参加一日目の午後は体調不良でホテルに戻っての休憩を余儀なくされてしまいました。まあ今から思えばこれらは「緊張」の要素も大きかったのでしょうね。上の内容に追記するなら「+0.6 強い緊張」といったところでしょうか。その割には本番はあまり緊張せずにいけました。あるいは緊張自体も「火事場の馬鹿力」で押さえ込んでいたのかも知れませんね。

11月23日の発表(こちらに発表スライドがあります)は自己採点では70点ぐらいの出来だったと思います。事前に発表原稿を用意しておき読み上げる形にしたのが良かったのか悪かったのかは分かりません。後半のツールのデモの箇所だけはアドリブにしましたが、ちょっと疲れてきた感じで、結構言いたいことが伝え切れてないなあ、というのを当日の録音を聴きかえして思った次第です。まあ普段やり慣れない英語での発表ですし、病み上がりにしては上出来だったかな?ということにしておきましょう。いつまでも病気のせいにしておくわけには行きませんけど。

11月25日に台湾から帰ってきてからは、毎朝いつもの薬と一緒に服用していた「キューピーコーワゴールドα」を止めてみました。そしたら11月28日頃から口唇ヘルペスが…やっぱり台湾出張で溜まった疲れが抜けきらないところにビタミン剤まで止めたので発症してしまったのかなあ?と思います。

ところでこのブログの主目的であった授業記録は10月下旬から更新が遅れがちで、台湾出張前からは完全に更新が止まっています。何とかしなきゃ…とは思っているのですが。やっぱり科研の書類作成と台湾出張が2大イベントだったということですね。あるいは個別音読テストも入れて「3大イベント」とするべきかもしれません。

さて、明日から12月です。師走ということですが、だからといっていつもよりも忙しくなる気配はありません。いつも忙しいのです。あるいは忙しくしているのです。まあぼちぼちと…忙しく過ごしていきます。(相変わらずワーカホリックですね…。)

次回の阪大病院の外来診察は12月26日です。この日は造影剤MRIという精密検査を受けることになっています。どうか何も見つかりませんように…。